40年ってことだけど・・・


1972年5月15日  アメリカの施政権下にあった沖縄が沖縄県になった日

あれから40年



40年目-2


新聞は相変わらずのようにこんな書き方するけど







40年目-1


かなりの割合で節目のイベントに参加ってか見物に行くような人がいて

その入り口には40年前よりカッコよくなった防護服?を着た警察関係者が

物々しい警備をして会場前の道路は交通規制で渋滞してるし。。。



県民一丸となったナニかはなくなったような・・・






ニュースでインタビューを受けてた当時頑張ってた人達?その年代の人たち

あの頃自分たちが頑張ったから今の平和な沖縄があるみたいなことを言ってる人

その人たちは年金もそれなりにもらってそれなりに暮らしているんだろうけど

今の若者は年金払うどころか仕事がない、生活できないって人が多い



高校で復帰の日が何年何月か知ってるかをアンケートしたら15%しか正解できない









外交やら国防やらでも国民の利益を考え強く意見を発信する事も出来ず

国内の事でも先送りって事を続けてきた日本国との行き来にパスポートが要らなく

なっただけではないんだろか



戦後日本中にあったはずの進駐軍基地ってやつを徐々に沖縄に集積しつつ

管理責任者の名前をアメリカから日本に付け替えただけじゃなかろか







米軍犯罪なんかでも減ったとか裁判とか少しはしやすくなったって言っても

アメリカ自体が奴隷を使って当たり前の国から人種差別撤廃?を意識したり

人権とか世論とかへの考え方がむかしとは変わってきただけじゃなかろか







この40年で苦しい中したたかに逞しく生きてきたウチナンチュが復帰によって

補助金交付金を頼って骨抜きにされていったのでは







終戦直後、内務省は全国の警察に対して連合国軍の将兵向けの慰安所の設置を指令し

近衛文麿国務相が「特殊慰安施設協会(RAA)」の設置を決めた。

「(連合国軍の将兵による)性犯罪から子女を守るため」という大義名分を基に、

日本各地に慰安所が設置された




現在の感覚からいうと非人道的でも当時の感覚ではアリだったりするし

豊かになったなんていってもゴミの素を買ってるだけじゃ。。。






賛成も反対の良くなった悪くなったも考え方、捉える方向の違い









確実なのは当時子供だった私が50代のおじさんになったって事

そしてその年はかみさんが生まれた年だって事。。。(-。-)y-゜゜゜








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